うーすけfamiglia

資産運用・育児・生活 日々の気づきを徒然に。

新卒で入った銀行を2年弱でやめた理由【本音】

 

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うーすけは地元の地域密着型の銀行に新卒で入りました。

 

当時の就職活動は、リーマンショックの影響がまだ残っていた時期であり、氷河期とも言われていました。

 

何度も丸の内に足を運んでは、会社説明会に参加しました。熱心にメモをとり、人より質問することで一歩抜け出たような気分になったり、最終面接でお祈りをくらって悔しい思いをしたりもしました。

 

誰もが通る道でしょうか。

当たり前のことですが内定が出た時は何の疑問を感じることなく素直に喜び、両親にもお祝いをしてもらいました。

 

そんな苦労して新卒で入った会社を2年弱で辞めました。

 

ここからの話は、金融業界一般の話しではなく、あくまでうーすけが以前勤めていた職場はこういうところだったという前提に立ってご覧いただければと思います。銀行で働かれてる方は不快に思う部分があるかもしれません。

 

 

辞めた理由

閉鎖的な環境とリスク商品を売ることへの罪悪感

 

銀行はお堅い印象を持たれることが多いですが、その通りです。

 

基本的には上の言うことは絶対。

意味のない仕事だと思っても、効率化のための改善など若手から口に出すことはできません。

年功序列でありつつも、実力主義的側面もあり、営業部門で成果をあげられる人の発言力が強いです。

 

法人営業や個人ローンの開拓等による利ざやで収益を上げる時代はすでに終わり、手数料収入を増やすために、投資信託等の高リスク商品の厳しい販売ノルマが課せられます。

 

営業に向いているひとは、仕事と割り切り、高リスクの商品でも、あの手この手でお年寄りをメインに販売成績を上げていきます。

 

そこに罪悪感を感じる人は銀行員としてはセンスがないです。 

 

就職活動時の思い込みとミスマッチ

就職活動を振り返って

なにも自己分析なんてできてなかったなぁと感じます。

そもそも「就職活動」における自己分析は、自分をよく見せるメッキを塗りつけた上に、実力がない自分を実力があるように錯覚させてしまう作業でもあると思っています。

 

あんなに苦労して得た内定。

高い倍率をくぐり抜けた自分なら、はいったらそれなりにでもやっていけるはずと。

 

ただ実際に営業にでてみて感じるギャップ。

 

営業で数字を上げなければいけないけれども、自分だったらまず買わないような金融商品を売っていかなければならない。

 

自社製品の販売ならまだしも銀行の売る商品は自社製品ではありません。

どこの銀行でも買うことができるものです。

銀行じゃなくても買うことができます。

 

餅は餅屋。

投資信託なら証券会社、保険商品なら保険会社から直接買った方が、購入時の説明もアフターフォローも充実しています。

わざわざ付け焼き刃の知識しかない銀行員から営業を受けて買うものではありません。

 

洗脳的で非実践的な研修

4月当初の支店配属までの新任研修は泊まり込みでした。行きのバスの中で、事前連絡もなく全員が私物のスマホを取り上げられ、1週間を過ごしました。

自分はその当時はスマホの目覚まし機能を使っておらず、幸か不幸か自前の目覚まし時計をたまたま持っていきました。

そのため、早朝に内線で全ての同期部屋にモーニングコールをかけるといった大役を担ったことをいまでも覚えています。

 

朝起きたら体育館に集められて大きな声で行進をします。

チームとしての一体感を高めるためだそうです。

5人一組で、1人でも声が出ていなかったら共同責任です。

指導員がいいというまで行進です。

いま思えば洗脳に近しい感じもしますね。

 

そこからは座学とロープレを行いました。

ロープレの度に厳しい指導が入りずっと緊張の連続でした。

 

研修が終わる頃には、理不尽な指示でも何も言わずに従う兵隊のできあがりです。

 

支店の人間関係

新任研修を通じて立派に洗脳された新任行員が支店に配属され、初めに言われることは「研修で習ったことは忘れろ」です。

 

チームの一体感とはなんのことだったのか。

研修の方が楽だったなぁと思えるほどの「足の引っ張り合い」に強制参加させられます。

 

好意を持って接して教えてくれる優しい先輩はいませんでした。新人がうまいことやると先輩方が割を食うからです。

支店長をトップとしてカースト制が敷かれており、新人は等しく奴隷でした。

 

基本的には失敗して、上司が教えてやれと指示があって初めて制度上「チューター」と呼ばれるマンツーマン指導員が教えてくれます。

 

失敗する前に聞くと「自分で調べろ」

失敗したあとは「なぜ聞かなかった?」。

一緒に配属された女の子は毎日給湯室で泣いてました。

それがうーすけがいた前職場のOJTでした。

 

また、新人は上司より先に帰ることができません。

自分の仕事が終わっていても、「なにか手伝うことはありませんか?」これを言って許可がでてから帰るのが常識でした。

許可がでたことはありません。

 

社会人としては処世術として当たり前かもしれません。

ただ「いいよ、気にしないで帰って」期待するそんな言葉は一回もありませんでした。

 

また、銀行は飲み会も非常に多いです。

 

uuusuke.hatenablog.com

 

 

将来性

金融業界のこれからは明るいものとはいえないでしょう。すでにメガバンクでも大規模な人員削減が進んでいます。

 

president.jp

 

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ホリエモンの言葉を全て鵜呑みにする訳ではありません。

ただ、自分が子供だったときを思い返すとITの革新により、ものすごい速さで技術革新が進み、生活の利便性は増しています。それは事実です。

 

今後も、一般人の予想より、はるかに早く目まぐるしく世界レベルで環境は変化し、技術革新はますます進んでいくと思われます。

 

融資審査や預金等の後方事務も今後は全て人工知能で代替できる時代がやってくるでしょう。

たいして遠くない未来に。

 

そのときに銀行員にしかできないことがどこまで残っているのか。

 

経営に関する改善はコンサルが担っています。

 

銀行員時代によく言われたのは

地域の人たちとコミュニケーションを取って足で稼いでいくことでお客様に選んでいただくこと。

 

キャッシュレス、ペーパーレスが進む社会の中で、ネット世代が高齢者層に足を踏み入れる時、この「古き良き時代の泥臭さ」がプラスに働くことはないのではないでしょうか。

 

この流れは銀行に限った話ではありません。

ただ、銀行のように変化に保守的な業界はいち早く淘汰される可能性が高いです。

 

まとめ

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銀行を辞める意思を上司に伝えた際に開口1番言われた言葉は

 

「ここ辞めても次はないから乞食になるしかないよ。」

 

でした。

 

結果、次はありました。

今は前職の給与水準を保ちつつ、かつ休みも取りやすい職場に転職することができています。

 

伝えたいことは、同じような悩みで、転職を考えている方へ短期離職でも次の職場はそれなりに見つかるよってこと、金融業界の常識は世間一般の常識じゃないよってことです。

 

 うーすけは銀行員時代に学んだことは無駄ではなかったと思っています。

ですが、その反面、遠回りをしてしまったなという後悔も正直あります。

 

就活生がみているかはわかりませんが、反面教師にしてください。

「やりたいこと」も重要ですが、「できること」にも目を向けて、自身の性格に真正面から正対した上で適正を吟味し、会社選びをしてほしいなと思います。

 

ではでは。